函館遠征記 2005年7月(前回遠征) |

2005年 7月 フィーバーズの函館遠征記録です。
7月 1日(金)
先発隊函館に到着
2日(土)の試合を前に、先発隊をさらに先行して、平林、植草、中島機長が
昼過ぎに函館へ到着しました。
函館の天候は曇り(と思います)、東京に比べて爽やかな、すごしやすい環境は、
気温、湿度の低さのせいでしょう。
先発先行隊は、フィーバーズ函館支部長の矢村さんの案内で、函館市内見物、
特に矢村さんの職場(と言うんでしょうか)である、函館地方裁判所を見学させて貰いました。
案内していただいた書記官の伊藤隆幸さんは、
フィーバーズ(の女性?)に対する矢村さんの気さくな態度に、
少なからず驚かれたそうです。矢村さんは函館では、厳格な裁判所長なのです。
また、伊藤隆幸さんには所属(キャプテン)されている稜友RFCとの試合、
試合後のファンクションを含めて、大変にお世話になりました。

夕刻、先発隊、旭澤、長谷川が到着し、当夜の宿泊予定である「湯ノ川プリンスホテル
渚館」で府川、平林、植草と合流しましたが、先発隊予定の竹村は姿を現しません。
中島機長は、本来の目的である、勉強のため矢村邸に滞在しました。
先発隊は、早速「湯ノ川温泉」にて、明日に備えるべく旅の疲れを癒しましたが、
露天風呂の目の前に海岸線がつながり、目を上げると下北半島の北端が望めます。
この海の下を、大きなまぐろが回遊しているのか、と感慨深いものがありました。
海岸線につながる砂浜で、遙の昔、石川啄木が、泣き濡れて蟹と戯れたことよりも、
腹這いに寝て初恋の日を思い出していたことよりも、海の幸のほうが現実なのです。。
竹村はまだ顔が見えません。
温泉堪能後、先発5名は早速、函館海の幸を堪能するべく市街地へと向かいました。
期待に違わず、函館の海鮮は我々の味覚と腹具合を充分に満足させてくれました。
腹の肥えた後、タクシーに無理矢理5名乗せて貰い、函館山へと向かいました。
百万$と言われる夜景は、函館の街の全てを映しているのでしょうか。
ロープウェーの料金が1200円は、ちょっと高いのではないかとも思いますが。
竹村はまだ到着しません。この頃は青森にいたようです。
7月2日(土)
遠征本体が早朝に到着。先発隊の府川、竹村、平林、植草と合流し、朝食がてら
函館朝市見物へ向かいました。
海鮮丼1,700円はボリューム満点、味満点、本日午後の試合に向けて、
栄養補給充分だったでしょう。
尚、旭澤、長谷川はホテルのバイキング形式朝食で、くつろぎの一時を過ごしました。
和洋、海鮮、肉料理と品数豊かな、美味しい朝食でした。
昼頃、先発隊、本隊ともに、宿舎となる矢村邸に集合しました。
矢村邸は、矢村さんご夫妻が暮らしている家と、約200mほど離れてマンションが別宅としてあります。
マンションは現在、あまり使用されていなく、2LDKを全て使用させて貰いました。
女性陣は矢村本宅、男性陣と多久夫婦はマンションという割り振りです。
荷物を置き、昼食までをマンションにて休息をとりましたが、
日頃ほとんど出入りの無い部屋に、突然と10人の男どもが侵入し、、
尚かつ、地声の大きな人ばかりなものだから、午前中2時間足らずの間に、
ご近所からうるさいと苦情が来たそうです。
観光地の函館山の麓付近でありますが、矢村邸は青柳町という閑静な住宅地であり、
近くに函館公園はありますが、大きなマーケットなどある大通りから少し離れた所であり、
男ども10人の話し声は、自ずと喧しいものであったに違いありません。
この件があって、夜就寝前のナイトキャップ時は、皆が「しーっ」「しーっ」と言い合っておりました。
そいつが一番うるさいのですが..
一休み後、矢村本宅に集合し、お昼ご飯にお寿司をご馳走して貰い、
いざ根崎ラグビー場へと向かうのであります。
矢村さんは、しきりと路面電車を一日券で利用することを勧め、
自ら一日券を利用したのですが、あまりに遅い電車に、ほとんどはタクシーを利用しました。
女性陣だけが、矢村さんの言葉に負けて、路面電車を利用しましたが、
元を取ったかどうか、確認されておりません。

根崎ラグビー場は、国際試合などにも利用されるそうで、綺麗な芝のグランドです。
また、柏木、旭澤はそれぞれの高校で、このグランドへ遠征してきた思い出があるそうです。
「根崎グランドは私や旭、もそうですが
高校の遠征で試合をした思いでの地でした。
その当時と比べればピッチはだいぶ違いますね。
時代を感じましたが、近くを流れる川や古くからある
ホテルや旅館の町なみは昔の面影が残っていますね。
いちばん感動したのは試合が終わって、函館の駅まで
走って帰ったことが矢村さんの家からグランドに
向かうタクシーの中で走馬灯のようによみがえりました。」
(柏木談)
高校時代の柏木や旭澤がどんなだったか...
柏木の食った、蛙の子孫も懐かしく見ていたでしょう。
朝方曇っていた天候も、当日の午後からは日差しも出はじめ、風も微々、気温も多分20度程度で
試合をするには絶好のコンディションとなりました。
後発隊の多久夫妻もグランドで合流し、また、函館にて矢村さんが所属している、
函館不惑「ひやみず」ラグビークラブより8名の参加を得て、
地元「稜友RFC」との試合が行われました。
試合詳細は、試合報告をご参照下さい。
試合は残念ながら負けてしまいましたが、気持のよいラグビーだったと思います。
試合をコントロールしてくださった伊能(いよく)レフリーに感謝。
試合後、近くの銭湯(温泉湯?)へ向かいましたが、15分歩いて到着したところ、
湯舟が大きくなく、また他の利用者もいて入り切れないとのことで、
ふたたび湯ノ川温泉郷まで歩いて、ようやく試合の汗を流すことができました。
本日帰京する中島機長は、この温泉にて本隊から離れました。
試合道具をマンションに置き、矢村さんの強い勧めで路面電車にてアフターファンクションが
行われる「海がき大将」へ到着したのは19:00丁度でした。
試合相手の「稜友RFC」、フィーバーズへ参加した「函館不惑ひやみず」のみなさんと共に、
函館の海の幸を心ゆくまで堪能させて貰いました。
「稜友RFC」の人たちは、20代後半という若さですが、非常に爽やかで気持の良い人ばかりでした。
約2時間のアフターファンクションは瞬く間に終焉となり、
フィーバースは函館の夜を探索にでるのですが、
2次会で、岩間がお腹の調子が悪くなったこと、有り余るほど注文して食べきれず、
持ち帰ったこと、など本記録者は断片的にしか覚えが無く、
個々がどうしたか記録するデーターがありません。
函館山へ夜景を見に行った人たちや、矢村邸へ戻った人たちなど、それぞれの函館の夜があったようです。
7月3日(日)
一夜明け、函館遠征最後の日となりました。
元気な人たちは、早朝より矢村邸近くの「市営温泉」へ朝風呂をつかいに行きました。
雲一つなく綺麗に晴れた朝で、心構えがないと入れないくらい熱い温泉は、
疲れた身体にさぞや気持ちよかったことでしょう。
矢村邸にて、朝食をご馳走になり、昨晩持ち帰った海鮮料理も、柏木の活躍で
すっかり綺麗になくなったそうな。
午前の一時を、矢村さんに案内してもらい、立待岬まで散歩しました。
この岬途中には、函館公園、動物園、霊園などがあり、
霊園の中には、「石川啄木一族の墓」があり啄木の遺骨が納められているそうです。
その他、宮崎郁雨や、土方歳三などのお墓もあるそうです。
函館はかって何度も大火事に見舞われ、その時に殉職した消防士の慰霊碑もあって、
地元で消防団に所属している岩間は、感慨深げでした。
波の音が聞こえ、海の匂いがするお花畑で記念撮影をし、
遠征最後のイベントを終了しました。
その後は三々五々解散となりました。
夕刻の飛行機だった、竹村、岩間、安澤は函館の馬を観察に行ったようですが、
東京からの客人は、あまり好い思いをしなかったようです。

今回の遠征は、試合設定、宿舎、観光などすべて矢村ご夫妻のお世話になりました。
気持の良い試合や、不自由のない滞在が出来たことは、矢村さんご夫妻のおかげです。
改めて感謝したいと思います。ありがとうございました!。
遠征記番外(竹村氏、青函トンネル渡る)
7月1日(金)夕刻に函館へ到着する予定だった氏は、
運悪く予定の飛行機に乗り遅れた。
当日休暇を取っていた氏は所用を片づけているうち、時間を費やしてしまい、
5分遅れで、函館行き最終便に乗り遅れた。
府川氏奥さんのアイデアで、まだ便のある青森までフライトし、
青森から列車で函館へ来ることにした。
青森、函館間は特急で2時間、急行でも2時間30分である。
函館へは、その時点で21:00ぐらいには到着、先発隊と海鮮料理を堪能できるはずであった。
しかしながら、運が悪いというか、間が抜けたというか、
青森悪天候のため、着陸が1時間遅れてしまい、
その時点で、函館行きの列車は、急行はまなす、函館着午前1時13分のみとなってしまった。
真夜中、ようやくホテルへついた氏は、とりあえず温泉だけは堪能したようである。
無事でなにより、おかげで先発隊はタクシー一台で済みました。